2015年11月15日日曜日

お金の管理をきちんとしたい〜自分の人生の目標や夢とは関係ないものは、全部ゴミです。

質問

人生をやり直したいと思いますが、まずお金の管理をきちんとできるようになりたいです。どういうやり方が効果的ですか?












回答

もっとも簡単な方法で重要なお話から始めます。それは稼ぐより、出るお金を最小限にすることです。そんなことをするとお金がないに意識が行き貧乏根性からお金が寄り付かないと言いますが、そんなことはありません。この世の中は愛こそすべて。愛のないお金の使い方をするからお金が寄り付かないのです。

あなたは毎月どれくらいお金を使っているのか、認識していますか?
支出を把握するためになにをしていますか?

そのお金を少しでもプラスにすることができますか?
必要なものは仕方ない。そんな考え方をしていませんか?

現状のままで、貯蓄、
5年後あるいは10年後にどれくらいの資産にできるか把握していますか?


・家計簿をつける
なにより家計簿は金銭管理の決定版です。

家計簿をつけると、自分の収入と支出が、はっきりと数字で確かめることができます。
何にどれくらい使っているのかわかるので、来月からどう支出をマネジメントしていけばいいのかわかります。わかってできるまで毎朝、家計簿を見つめましょう。

社会の動きも大事ですが、自分の動きが分からない人が社会の動きを知って考えても情報過多になるだけです。
自分の人生の目標や夢とは関係ないものは、全部ゴミです。

逆に、家計簿をつけていないと、自分がどんなにムダ遣いをしているのかわからず、穴のあいたバケツに水を注ぐように、お金をゴミののように注いでしまいます。すべてが徒労に終わります。そんな自分を粗末にする生き方はやめましょう。まずここからやり直しです。その整理をするのが家計簿から始めて、ライフプランにつないでいきます。ライフプランができると人生は変わり始めます。


・ムダ遣いをすっぱりやめましょう
「お金がない」が口ぐせの人ほどムダ遣いが多いのが実態です。
スマホ代に月2万円近くかけていたり、「あったら便利」にお金をつぎ込んでいませんか?
人生の目標や夢とは関係ないものが部屋にゴロゴロしていませんか?
人生の目標や夢とは関係ない交際費の支出が多くありませんか?

・貯金の習慣をつける

お金持ちになるには、貯金の習慣は必須条件です。コツコツと取り組む習慣は健康も同じ。つまり貯金は人生を変える学習の基礎なのです。最初は1日100円でもOKです。そこから金額を増やしていきましょう。増やすほど貯まり、貯まるほどやる気が湧いてくる。健康づくりも貯蓄も、自分も育ても全部同じ仕組みなのです。




2015年5月22日金曜日

「コントロール」と「すべてか無か」からの脱却

質問

「コントロール」と「すべてか無か」からの脱却をしたいのですが、どうしたらいいのかわかりません。











回答

「コントロール」と「すべてか無か」は、密接に影響し合っています。
コントロールは、通常はマネジメントと一体で語られるものですが、アルコール依存者の子どもの場合には、もっと強い欲求があり、力いっぱい手綱をひくような状態のことを言います。
つまり「そこまでしなくてもいいのに」と思うほど、自分や重要な他者を規制せずにはいられない切迫した強迫行動です。

コントロールがほとんどないか、機能しているかという環境で育ってきたからです。それが「すべてか無か」という判断、選択につながっています。

力いっぱい手綱をひく「コントロール」の習慣に気がついたら、手放すときです。

では、どのようにして手放すことができるのか。その方法を提案しましょう。

ひとつは、ゆっくり時間をかけて、判断、選択するようにします。
相手がある場合には、時間が欲しいと伝えるようにします。その上で自分ひとりで解決しょうとせず、信頼の置ける人に相談することです。

もうひとつは、勝つか負けるかではなく、中間を心がけましょう。「すべてか無か」は「コントロール」よりも難しい問題です。要求が極端すぎるのです。

たとえば、弁護士をめざすとします。
普通の人は一歩ずつ進みます。

ところが「すべてか無か」の考えをする人は、いきなり答えを求めます。「なれるか、なれないか」という判断です。
そんなことは誰にもわかないことですが、最初に結果を求めます。

なれると思えば取り組むし、根拠なくダメだと思うと、無視します。これではほとんどの挑戦が始まりません。

対策は、マイルストーンです。実際、「すべてか無か」の考えをする人が経営者の場合、ほとんど同じことをしています。環境が変わっても過去の成功体験を繰り返すばかりです。結局、無にしてしまいます。こんなことにならないように、マイルストーンを一歩、一歩、進むようにしましょう。





2015年5月6日水曜日

認知症の早期発見の方法を教えてください。

【質問】

認知症の早期発見の方法を教えてください。




【回答】

公益社団法人「認知症の人と家族の会」が発行している小冊子があります。これは診断基準ではありませんが、家族が発見した認知症の初期症状です。人知れずご本人も悩んでいることを心して、温かいコミュニケーションを心がけましょう。

20のチェックポイント

●もの忘れがひどい 

1 いま切ったばかりなのに、電話の相手の名前を忘れる
2 同じことを何度も言う・問う・する
3 しまい忘れ、置き忘れが増え、いつも探し物をしている
4 財布・通帳・衣類などを盗まれたと人を疑う

●判断・理解力が衰える

5 料理・片付け・計算・運転などのミスが多くなった
6 新しいことが覚えられない
7 話のつじつまが合わない
8 テレビ番組の内容が理解できなくなった

●時間・場所がわからない

9 約束の日時や場所を間違えるようになった
10 慣れた道でも迷うことがある

●人柄が変わる

11 些細なことで怒りっぽくなった
12 周りへの気づかいがなくなり頑固になった
13 自分の失敗を人のせいにする
14 「このごろ様子がおかしい」と周囲から言われた

●不安感が強い

15 ひとりになると怖がったり寂しがったりする
16 外出時、持ち物を何度も確かめる
17 「頭が変になった」と本人が訴える

●意欲がなくなる

18 下着を替えず、身だしなみを構わなくなった
19 趣味や好きなテレビ番組に興味を示さなくなった
20 ふさぎ込んで何をするのも億劫がりいやがる


「もの忘れがひどい 」と「単なる物忘れ」の見分けがつきにくいので注意です。「単なる物忘れ」とおもわず、他の点にも注目してください。


介護生活が始まりそうです。なにからどうしたらいいのか不安です。

【お問い合わせ】

会社勤めをしています。離婚後、独身の男性です。母親の介護生活が始まりそうです。なにからどうしたらいいのか不安です。




【回答】

まず、介護保険を理解しましょう。


自分も、今年の春、母とはぐれました。去年には母の妹、叔母と。姉妹して天国に行ってしまいました。述べ4年間の切なく慌ただしい毎日でした。

ふたり同時に認知症になり、介護保険の使用のために区役所に相談に行き。まず介護のレベルの判定をしていただきました。母は「要介護3」、妹は「要支援2」でした。そこでしかるべき対応を試みることになります。



認知症ネットにはこのように記述されています。

仕事と介護の両立の仕方

大切な家族が要介護者になったとき、自分たち家族だけで何とかしようとすると、心身ともに追い込まれてしまい、結果、離職を余儀なくされる事にも繋がります。

しかし、仕事を辞めてしまった後の事を、具体的に考えてみましょう。収入が減ってしまう、又は無くなってしまっても大丈夫なほど貯えがあるなら良いですが、そうではない場合は、どうやって生計をたてていくかなど、熟考が必要です。介護サービスを利用するとしても、全く無償で行われるものはありません。収入が無くなった場合、介護サービスも減らさなければいけなくなり、身体的、精神的な負担は今より大きくなる可能性があります。

介護は介護のプロに任せ家族で抱え込まない

認知症の介護は、身体的な介護だけではありません。問題行動など、家族だけでは対応が難しくなる症状も多くなります。介護だけを考えても、家族だけで抱え込まず、介護サービスや地域全体のサポートを利用できると考えてください。

家族の介護を他人に任せられないと考える方もおられますが、介護サービスを行っているのは介護のプロです。病気になったら医者や看護師に任せますよね。介護もそれと同じです。

確かにそうです。間違った記述はありません。

間違っていないけど、介護保険の仕組みに大きな欠陥があります。
これが厄介なことになります。

介護保険は、介護する人が<夫婦健在>であるという発想に基づいていることです。

この問題は多岐にわたるので、連載で回答させていただきます。




2015年4月4日土曜日

ネガティブな思考が止まりません。

【お問い合わせ】
引き寄せの法則にハマって意欲的になりました。大学を出て一旦就職をしましたが、思うことあり、専門学校に入学して資格をとって再挑戦したいと考え猛勉強して受験しました。確かな自信が持てるほどまでになったものの、寸前になって叶わないのではないかと不安に苛まれ、案の定、受験に失敗しました。もう一度気持ちを入れ替えてやり直そうと思うものの、また失敗するのではないかとネガティブな思考が止まりません。




【回答】
プラスとかマイナスとか、引き寄せとか、言葉にした途端、それらは力を失います。言葉にすることで、思考が戦闘状態に入るからです。
成功も、失敗も、自分自身の意図のもとにあるのです。
つまり、どちらも自分自身の(無意識の)目標でその都度自分自身が選択しているのです。
戦闘状態になり、相反する目標が互いにせめぎ合うと混乱が不安を招き、葛藤が生じます。
葛藤が続くと、疲れ自分には人生を変える力はないと思うようになります。
この状態に慣れている分、もっとも受け入れやすいので、安心します。
こうして、もしかしたら変われると思った、かすかな希望は打ち砕かれます。
あなた自身の手によって。。。。
さて、打ち砕かれた原因はなんだったのでしょう?
あなたの「猜疑心」「うたがい」が心の平和を破り、戦闘状態を引き起こしたのです。
つまり、心の平和が嫌いで、戦闘状態が好きなのです。
親しみがあるのは無理もありません。長い間、そうしてきたからです。
よくないことでも毎日してると安心があります。
私たちは毎日多くのことを考えますが、98%は昨日考えたことと全く同じなのです。
この囲いから出ることが必要です。その方法は「昨日も考えたことだと思った瞬間、やめることです」
わかりますか?「うまくいかないかも」と思った瞬間、「あ、これ昨日も考えた」ことを思い出し、その瞬間、すぐに考えないようにして、必要な具体的な努力をすることです。
人間は誰でも、もっとも多い頻度で考え行動したことを実現します。
この当たり前のことを妨害しているのが、自分と他人(マスコミも含め)の言葉です。

東京から九州へ行こうとするなら北海道をめざしません。逆もそうです。
ところが人間は、複雑すぎて、東京から九州へ行くと言いながら北海道をめざすからびっくり仰天です(笑)


【ご相談はこちらから】

2014年5月24日土曜日

一番小さな子の世話に追われて

上の子と十分な会話ができない。どうしたら?


一緒にケアする時間をたくさん持ちましょう。



一番小さな子の世話に追われて上の子と十分な会話ができない・・・・この問題には、こどもにとって2つの重要な課題があります。

・主導権争い
・共同体に生きる

自分が下の子より愛される実感を確かめたいと思います。お母さんにしたら、どちらも同じように愛しているとしても、ケアが必要な下の子に時間も労力もかかります。上の子は敗北するしかありません。上の子にしたら、下の子に負けただけでなく、お母さんにも負けたことになります。まともに向かい合って勝てる相手ではないので、お母さんと目に見える形で主導権争いするつもりはありません。。負の感情を抱え込んでしまいます。

そこで仕返しをしようと考えます。場合によれば一番力の弱い下の子をいじめることもします。共同体からはじきだえあれるような行為をする可能性があるわけです。

人間は共同体に属しています。集団への帰属意識は勇気の原点です。それは人間のいちばんの願いです。仲間と共に暮らすことは、楽しみであり、よろこびなのです。

そうすると、上の子にどう向き合うか、答えが見えてきます。「家族」という共同体の一員として、子育てに参加させるのです。子育てに生じる様々な問題を一緒に乗り越えることで、問題を乗り越える習慣を身につけさせるのです。

お母さんのお手伝いすることで、必要とされていることを体感させるのです、できることできないことがあります。危険なことはさせられませんが、「できない」を前提にしないで、「できる」を前提にして、やり遂げるために障害になることを取り除いてあげるようにします。結果ではなく、やり遂げようとするプロセスに関心を持ってあげるようにします。

こどもも大人も同じです。人と人との関係を豊かにすると、ストレスは起こりません。反対に関係がギスギスしたり、失望したりずると人付き合いはいやだと思ってしまいます。そうに思うと悲しくなります。ストレスもたまります。しかし協力し合い、力を合わせ、自分も何かの役に立っているといることを実感する喜びの中で意欲的に多くのことを学べます。
安心感とよろこびの中で、愛するよろこびを知る機会にしてあげてください。 

 
▼さらに参考事例
  主語相手から自分に変える






2014年5月20日火曜日

人に嫌われたくない

人に嫌われたくない と、びくびくしながら生きてきました。 そのために、 自分というものがあいまいになっている気がします。 

「そんなの努力しかない」とみんなにいわれるたびに、私がいままで頑張ってきたと思っていたものまで否定された気分で、私は何のためにいるのかわかりません。変わりたいです。



2014年2月17日月曜日

人の意見、態度に
一喜一憂する自分を直したい

意識的に俯瞰する力を育むのです。




人の言葉や態度に一喜一憂するのは自然なことです。
人は誰でも自分の存在価値にこだわっているからです。それに自分で判断するより、楽だからです。

 
どのような美人でも、
自分が鏡を見て「私って美人よね」と自問自答しても
その価値を信じることはできません。(自分で価値を見出す力が大事ですが)

他者から「美人ね」って言われて、価値を認識できます。

だから人の言葉や態度に一喜一憂するのは、生きる原動力でもあるわけです。

時間をかけてそれから解放されるように、自分をしっかり創っていくのが人生の楽しみだといえます。

たとえば若いときはいろんな音楽に刺激を受けます。

経験することによって、だんだん自分の好きが絞り込まれて、年を取った時には、聴き込んだ末にひとつになっていた。

そういうことではないでしょうか? 


つまり自分を俯瞰して見れるようになるのです。意識的に俯瞰する力を育むのです。意識すれば育みことは難しくありません。
ところで。。。 
するメリット、するデメリット、
しないメリット、しないデメリット

行動を選択するについて、その4つについて、自覚が薄いまま考えています。

つまり4人の自分がいます。
4人のうち自覚ができているのは、
メリット、デメリットの2人の場合が多いでしょう。

その相反する2人の意見の対立に、意識が混乱するのは4人の自分が意識されていないからです。
実際は、4人の意見交換が行われているにもかかわらず、
2人の声が大きく、2人の声が小さいからです。

人の意見や態度に喜んだり、悲しんだりして、納得しているのは、この4人の内の誰かなのです。

喜んだり、悲しんだりしてしているのは、懸命に、4人の自分の意見交換によって下した、
最終決定を探しているからです。

重要なのは、自分の確信する意見を持つ自分を見つけること。

紙にそれぞれの意見を書いて、
リラックスできるカフェの椅子に腰掛けて
ひとり会議をしましょう。


他者の意見も気になるでしょうが、
あなたの分身たちの報告を、じっくり聴いて、
あなたが責任をもって、選択すればいいのです。


その結果、全力を出して行動をして、
うまくいっても、うまくいかなくても、
あなたの選択したことに、あなたが責任を持てばいい。


責任を持つとは、全力を出して行動するプロセスこそが責任なのです。

人の態度に一喜一憂は、行動に向かう準備段階でのプロセスのひとつです。

一喜一憂がイヤだなと感じたら、
行動したい欲求と必要が高まっているというメッセージです。 

一喜一憂は、あなたが自分に焦点をあわせるプロセスのひとつ。

焦点があったら、シャッターを押すように、行動しましょう。

 
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2014年2月1日土曜日

同じ事をしていても、評価されたり、 されなかったり、どうして違うの?


相手の都合で変わっているだけです。
気にしないで、自分の基準を高めていくようにしましょう。


 「同じ事をしていても、評価されたり、されなかったり、 どうして違うのか不思議です。自分では同じつもりでも違うのかなと不安になったりします。」という、不安感ですね。
評価とは言い換えると「ほめる」ということですね。
ほめる態度には、ほめる人が上から見下ろしている態度が見え隠れします。
 
つまり、ほめる人にとって、有益であれば「よくやった」という意味でほめてくれます。
ほめる人自身に有益であるかどうかが基準になっています。 

  もし、あなたが課題を完璧にやり遂げても、 あなたのためにしかならないことなら、多分、家族以外誰もほめないでしょう。
あなたにしたら完璧にやり遂げて自信満々、きっとほめてくれると期待するでしょうが、そうはなりません。
期待はずれになります。

 でも、完璧でなくても、
特定の誰かの役に立った場合は、ほめてくれます。
つまり、あなたは周囲の評価を気にせずに、自分が自分を認めてあげることをするのが一番大切なのです。

そうしていると、きっと誰かの役に立つ場面に出会います。
そのとき、その人たちは、あなたを評価します。
役に立つことであればあるほど、評価も高くなります。
同じことをしていても、ミスマッチしている場面では評価されないのです。

ダンスを学びたい人の前で、おいしいレシピを披露しても、喜んでくれません。
だけど、料理を学びたい人の前で、レシピを披露すれば評価されます。
でも、それを嫉妬する人は評価しないでしょう。

嫉妬する人の問題ですので、どうにもできませんが、評価する人の意見を聴く人もいるので心配いりません。
 
あなたができることは、他者の評価に一喜一憂せずに、うまくできたと思うときは、自分をほめてあげて、
そうでない場合は、どこがしっくりしなかったのか反省し、改善する。
 

 
自分が持っているものを与える。分け合う。
これが幸福の基本なのです。
自分には何がないのか、それが欲しい。。。。その先に幸福はありません。
自分には人に与えられるものがない。だからもっとも勉強する。もっとも努力する。誰も気にしないような小さなことにこだわって、自分の基準を高めて、クリアしていくことのです。

その先には幸福があるかどうか分かりませんが、すでにいま幸福のまっただ中にいます。

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2014年1月28日火曜日

アルコール依存症の親を持つ成人した子供たちは同じ苦しみを味わっているのですか?


「アルコール依存症の親を持つ成人した子供たちは同じ苦しみを味わっているのか?」



よく訊かれる質問です。

自分はひどくおどおどしている。自分でもいやで自分が嫌いになる。
自分はひどく変わっている気がする。
自信を持って話せない、行動できない。・・・・・

同じ現象に苦しんでいる人はたくさんいます。
しかし、現象は共通したものではなく様々です。

その一方で、アルコール依存症者の親のもとで育ったこどもの体験を話すと、「自分のことのように聞こえます」と言います。
特に人間関係では、似たような悩みのご相談を数多く受けます。

そしてその苦しみに共感します。ほとんどの人が心理的に共通した体験を持っていて、同じような不安と恐れを持っています。


だからと言って同じ体験をしているわけではありません。

不思議な感じがしますが、それには、いくつかの理由があります。


・親のアルコール依存症が発症したときのこどもの年齢が違う
・両親ともアルコール依存症なのか、片親だけか?
・片親だけの場合、父親か、母親のどちらがアルコール依存症者なのか
・家族の子供の人数と誕生した順番
・配偶者自身(共アルコール依存症)の回復のための努力の度合い
・身近にサポートする人がいるか
・身体的な虐待があるか
・性的虐待があるか
・家族の社会的な地位
・家族の経済力


同じ家族であっても、すべての子供が同じように影響を受けるわけではないので、その反応はバラバラです。

例えば、ある子供はアルコール依存症の状態をはっきりと見て身体的な虐待を体験しているかもしれません。しかし他の子は体験が乏しく記憶にないかも知れません。
すると同じ兄弟でも親のイメージが違うことが起こってきます。

同じことは親にも言えます。親の立場になれば、同じように育てたと思い込んでいますが、しかしそんなことはないのです。よく対面でセラピーをすると「同じように育てた」と機嫌を悪くされるお母さんがいますが、そんなことはありません。


子供たちは状況に適応するために、それぞれに子供独自の方法を見つけ出しているのは珍しいことではありません。兄弟でもある子だけが特別に強い反応を示していることもあります。


しかし個々に違いがある一方で、アルコール依存症の親を持つ成人した子供たちは全体に共通して、情緒障害を起こし、自己否定感が強く不信感を持っています。

情緒障害とは、情緒の現れ方が偏っていたり、その起伏を自分の意志でコントロールできない状態が継続してしまうため、団体生活(学校や社会)の支障をきたす状態を言います。

2013年5月11日土曜日

親密になるのが怖い



白か黒かでなく、中間を大切に


FAQ 自分のココロ・デザイン用エンピツ



信用できない、つまり信用したら傷つけられるという思いの向こうにあるのは、コントロールを手放したら、何が起こるか判らない。
その苦しさに一番のポイントは、すべてか無か、白か黒か、右か左か、上か下かという発想です。
しかし、現実は、両極端ではなく、中間がほとんどなのです。
そして、人間にはコントロールできることと、できないことがあります。
 
できないことの見本として自然(天候などです)はそのいい例ですが、歩いていたら、自転車が飛び出して来た。なんていうのもコントロールできません。
しかし、そういう場面で自分がどう対処するかは、自分が選択できることですので、コントロールできます。
なにがコントロールできて、なにをコントロールできないのか、それを見極める力こそ必要なのです。
 
その上でコントロールできることはコントロールするのが自分の力なのです。
なんでもコントロールすることが力ではないのです。
親密になるとは、互いに自分をさらけ出す事です。
そこで生じる不安があってもおかしくはありませんが、もし本当に恥ずかしいと思う事があれば、相手(他者)ではなく、自分をコントロールすればいい。つまり成長するようにしたらいいのです。
それを含めて一歩ずつ歩みよるようにしてください。
どういうことかと言うと、好きな異性と初めてのデイトをしたと仮定します。そこで、いきなり自分のことをさらけ出すと、相手も驚いてしまいます。すると、困惑して離れようとす るかも知れません。あなたは傷ついてしまいます。

逆に、なにも出さないと、相手は嫌われたと思い、やはり離れようとするかも知れません。この場合もあなたは傷ついてしまいます。

つまり、相手があなたを愛していても、コミュニケーションの仕方の問題で、うまくいかなくなるなのです。
互いに安心できる範囲で、少しずつ、歩みよるようにしていけばいいのです。 
なにより思い出してほしいことがあります。
人はどんなに大切にしている人でも、知らずに傷つけてしまうのです。その理由は骨董品を扱う知識がない人が骨董品の手入れをして傷つけてしまうように、知識がないのが原因です。
同じことを気がつかない間に、自分がしているという事実に目を向けてください。「そんなつもりはなかった」ということがたくさんあるはずです。
つまり白か黒か、すべてか無か、ということはナンセンスなのです。
完璧主義が働きすぎると、現実から遠く離れてしまいます。
人は完璧でないから、愛され、愛したいと思うのです。




2013年3月27日水曜日

「白か黒か、はっきりしないといやです。 これはおかしいですか」


考えても仕方のないことを考えず、いまこの瞬間に集中、熱中時間を過ごしましょう。


白か黒か、その一方に不安があります。不安の正体は想像であって、現実には起こっていない状態で発生します。
しかし現実は算数のようなわけにはいかないのがほとんどで、「灰色」がほとんどです。

なぜ灰色が多いのかというと、人の気持ちは刻々と変わるからです。 
 「これを必ずやり遂げたい」
「あなたを一生愛します」 
そう思った時には、そう決意したり、発言します。
しかし、その5分後には気持ちが変わっているかも知れません。
「やり遂げられるだろうか」「こんなあなたは好きじゃない」
と思うと、そこにあった気持ちはぐらつきます。
しばらくすると、また気が変わり
「いや、きっとやれる」
「やっぱりあなたが大好き」となります。
こんなふうに揺れ動いている気持ちを白か黒かと決めつけれないのが本当ではないでしょうか?
ある意味、それを知っているから、心変わりがいやで、 白か黒かはっきりしたい欲求も強まるともいえます。
しかし、いくら決意しても、揺れる気持ちは止められません。
それでも、揺れ幅を小さくする方法があります。それは白か黒かではなく、灰色が普通なんだと考えましょう。そして「いまこの瞬間も継続する」ことです。

そうは言っても・・・・ 「白か黒か」はっきりしないと気がすまないという方に、「灰色が普通です。」では解決策にならないと思います。 
しかし、白か黒かの区別をつけようとする習慣は、 どうしてついたのかを知ると気が楽になると思います。
私たちは、自分の感情を左右する影響力を持った相手に対して、 相反する2つの感情を持つものです。特に、より影響力が強い人、より接触の機会が多い人に対してほど、 相反する2つの感情も強く持ちます。 
相反する感情とは、受け入れたい思いと、否定したい思いを持ちます。
その根底には自分を受け入れて欲しい感情が、より強くあるからです。
達成したいという願いが強い重要なことほど気になるもの同じ理屈です。

人は子ども時代に、非力なので、自活する力がなく、その分不安も強いため、 自分をケアしてくれる親や先生、親しい友人などには、 必然的に依存心が高くなります。依存心が強いほど束縛感を持ち、相反する2つの感情も強くなります。
 
たとえば「好きだけど嫌い」「行きたいけれど行きたくない」 というようなことが起こってきます。それは自然なことです。
束縛を受けてしまうので、自分の気持ちと行動のバランスが保てないからです。 
ところが、自分自身を含めて、周りの人に支配する力を持った立場にある人ほど、 それを認めない傾向があります。
私たちは子ども時代に周りから白か黒かの選択を要求される機会を持ちます。
「はっきりしろ」「そんな考えはよくない」と決めつけます。 
そういう理由を考慮すると 「愛情のあるところには必ず憎しみがある」のはとても自然な状態です。  
引き裂かれた感情を持つことについて、 人生を通して葛藤を克服していくものです。
ところが、周囲にも白、黒つけようとする人が沢山います。みんな不安があるからです。
「おまえはおかしい1
「したいの、したくないの?どっちなのか、はっきりしなさい」

と物事を白か黒かのように区別することを、 当たり前のようにしていると混乱と不安が激しくなります。

このように白か黒かの見方を強要するのは支配といえます。無意識であっても身近にいる目上の者が白か黒かの選択を迫ってくるために、 白か黒かの発想を習慣として身につけます。 
知識も経験も情報も乏しい子どもたちは、 生々しい感情を整理できないまま、知識、情報、だけが増え続けますが、 生々しい感情は抑圧したままですので、有意義な経験が伴わないまま 誤った経験を重ねるようになります。
こうして知らず知らずの間にネガティブで現実的でない間違った習慣を身につけます。
人は誰でも不安があります。自分のなかに相反する感情を持っているとしたら、白か黒かではなく、また否定せずに認めてやるようにしましょう。不安になることを肯定的に受け入れることができると楽になれます。楽になるとポジティブになれます。
グレーが自然だと思えるようになると、不安にならない循環が出来るようになり、白か黒かを考えなくなります。

さて、復習です。
白黒つけたかった方が、どこでどうしてグレーが自然だと思えるようになるか、分かりますか?

人は誰でも不安に弱い。不安になるのは、いまこの瞬間に集中せずに、考えても仕方のないことを考えているからなのです。このパターンを逆にしましょう。考えても仕方のないことに時間を使わず、いまできること、いますることに、熱中するのです。
白か黒かを求めるのは、行動を忘れて、考えることに集中してしまうからです。生きるとは行動することです。考えて仕方のないことに時間を使うのは生きている状態からどんどん離れていく状態です。

2011年11月15日火曜日

自分の限界を知るということを具体的に教えてください。

 人間にはできることとできないことがあります。

人間にはできることとできないことがあります。自分にできることは「自分のこと」だけです。
つまり自分を変えることはできても、他者に影響を与えることはできても、変えることはできません。状況も同じ、環境も同じです。限界を知るとは、そういうことです。

自分を変えることは出来ることです。できないというなら意識していないからです。むしろ意識したくないのだと想像します。

なぜ意識しないのか、怖いからです。

なにが怖いのでしょうか?
「お前なんかにそんなことを考える資格がない」と嘲笑う人が過去にいたのかも知れません。いまも悪意のある人がいるかも知れません。しかしそれはあなたの人生の外側にいる気にする存在ではありません。この意識は重要なので意識してください。
変わろうとしたとき、現状をどのように変えれば無難に変えることができるのか。対策を考える必要があります。見通しがないと不安になるのは誰でもそうです。あなたが弱虫だからではありません。必要なのはPDCAです。

それにしても、他人が何と言ってもあなたには関係ないのです。それで失敗しても笑う人は、その人自身が逆にバカにされる存在でしかないのです。心ある人はあなたの挑戦を称えさえすれバカにする人はいません。

そしてほとんどの場合、そのうまくいかないことへの不安は妄想です。自分が作り出したものです。

2011年11月4日金曜日

自分が何を望み、どうしたいのか分りません。

 「どう生きたいのか」を見つけましょう。




自分が何を望み、どうしたいのか分りません。どうすれば見つけることができるのしょうか?

この問題は、実に多くの方が抱えている課題です。

この課題をクリアする上で、見落としている点があるので気をつけてください。

・なにをしたいのか
・どう生きたいのか

この2つはまるで違う次元のことですが、自分が何を望んでいるかわからないとき、混同されがちです。

さて、どちらが大事でしょうか?「なにをしたいのか」より、「どう生きたいのか」が羅針盤になります。「どう生きたいのか」は「自分のスタイル」になる課題です。スタイルのいい人、自分のスタイルとは、どう生きたいのかが明確になっている人。つまり自分のスタイルとは、羅針盤です。自分がどこに向かって進むべきかが、分っていると普段から判断と選択が容易になります。

自分のスタイルが、明確ではっきりと意識できていると、働き方も暮らし方も変わります。自分のスタイルにあった判断と選択ができるからです。
人生とは変化のプロセスなので、いつも変化が生じ、判断と選択の連続です。変化を嫌い、選択と判断から逃げて暮らすのは人生を放棄するようなものです。
自分とはスタイルそのもの、つまり魂ですが、身体を借りて表現しています。

たとえば企業も同じです。組織という身体を使って表現します。組織に魂を流し込む作業がコンセプトの浸透です。スタイルの浸透と言い替えることもできます。

さて、「どう生きたいのか」を、どう決めればいいのでしょう。それはそれぞれ自分が決めるしかありませんが、おそらく他者に対してどうつきあうかという問題が絡んでくると思います。

そこで「私はとるに足らない人間だ」「他者になんかできることなんかない」と考える人が多いのも事実です。そこで、「何を望んでいるかわからない」と課題の解決は行き詰まります。でもここからが課題を解決する扉なのです。あなたは扉を開けなければ、また自分から逃避することになります。

怖がらずに扉を開けましょう。
「誰でも人は他者を幸福にできる」のです。
あなたはサンタクロースになれるのです。お金がなくてプレゼントが用意できないと考えていませんか?あなたはサンタクロースと同じように世界中のみんなを幸福にする力を持っています。それは「笑顔」です。

つまり他者を肯定する力があれば、「自分が何を望んでいるかわからない。」とい問題はクリアできます。自分自身を愛情と祝福で満たせば・・・・自分を肯定できます。それと同じように他者を肯定してあげればいいのです。

笑顔は花のように自然に生まれ、他者を勇気づけます。すでにあなたは素晴らしい存在なのですが、やがて、そのことに気がつくでしょう。この段階では、あなたは「そんなわけがない」と抵抗するかも知れませんが、そう考えてしまうのは、あなたが、自分とのつながり、他者とのつながりを「否定感」で分断しているからです。

自分を他者と比較し、自分を卑下している限り、つながりは生まれず、肯定感は生まれません。私は手術した結果、身体に不便があります。少しでもよくなるように毎日運動していますが、そればかり考えるわけにはいかず、気にせずに不具合を受けて入れて暮らしています。自分には、どう生きたいのかがあり、なにをしたいのかがあるからです。思えば「どう生きたいのか」・・・「なれる最高の自分になりたい」という想いは、つらい経験から誕生したものです。それに負けずに跳ね返したいから、どんな目にあっても「なれる最高の自分になりたい」のです。

「あなたに会えて幸福だった」とひとりでも多くの人に言わせたい。それが私の生きた証し。だから「なれる最高の自分になりたい」のです。価値観を作っているのは、その基盤になっている<Be~存在のあり方>の問題、「どう生きたいのか」なのです。すべては「どう生きたいのか」のままに・・・それがあるがままになのです。LET IT BEです。


2011年5月31日火曜日

なにごとも面倒に感じて、先延ばしにするのが習慣化している。

 自分を信じてみましょう。




ある人は成功することによって、自分への期待が生まれると、それに応えることを大変だと想像し、せっかくの機会も台無しにしてしまいます。これは意識されていないので、自分ではそうは考えないのですが、巧妙なトリックが仕掛けられます。

トリックはいくらでもあります。ミス、病気、怪我は常套手段です。ダブルブッキングもそうです。

大きな業績をあげると、次の成功のためにさらに高い基準を設けるのが一般的です。成長する人は、高い基準に挑戦することに面白さを感じますが、そうでない人は重圧を感じます。

両者の決定的な違いは、高い基準に挑戦する人が案外気楽に構えて準備には徹底した取り組みをします。一方、高い基準に重圧を感じる人は、考えすぎて、準備に力を入れません。

この矛盾は一体なんでしょう。普通に考えると、気楽に構えた人が準備にも力を入れず、考えすぎている人ほど準備に徹底した取り組みをすると考えます。それがそのようにならないのは、事前に結末が心の中に用意され、失敗に突き進むのです。

失敗には言い訳が必要になります。なぜなら自分は出来る人でなければならないので、失敗の原因を自分のせいにできないのです。そのために準備をしてはいけないのです。もし準備して、それでうまくいかなかった場合には、ますます言い訳ができず、自分の能力が不足していることを証明することになるからです。

つまり彼はどんなに成功しても、成功者とは思えないのです。なぜなら、成功はなにかの間違いであり、場合によっては自分を詐欺師のように感じてしまうのです。
「そんなバカな、なにかの間違いだ」と思わずにいられないのは、自己否定感が心の底にこびりついているからです。

自己否定感が、日常のあらゆることについて、大変だと思わせます。なにごとも面倒だと思わずにいられず、自分をケアすることは、自由になる分、後回しになります。


冒頭に触れたように、彼らにとって、あらゆる変化は恐怖ですから、恋の成就さえも避けようとします。相手を不快にさせる言動を繰り返し、その陰謀は成功させます。それが自分が仕組んだ罠であるにもかかわらず、トラブルに悩み、泣き、時間を無為に過ごし、自己嫌悪、自己否定感を深めます。そして自己否定感を否定しながら、受け入れることで、変化が起こらなかったことに安堵します。

実際のところ、彼らにとって、あらゆる変化が起こらないことが成功なのです。ですから誰も自分を完璧主義者とは見なしません。自分さえもです。

「もし、私が完璧主義者だったら、やるべき準備はしますよ。でも私は楽観的に考えているトンマな人間ですよ(笑)」と答えます。

確かに彼らはトンマです。でもその意味は違います。
失敗を恐れて、どこにも向かっていない人生を過ごし続けているからトンマなのです。

自分の実力を信じて、なにごとにも準備をして、最善の結果を出す習慣をつけるようにしてください。